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メッセージ

●破れ口に立って 

2013年08月19日
聖  書 出エジプト記 32:1 出エジプト記33:12 〜
テ ー マ 破れ口に立って


民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」 それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして私のところに持って来なさい。」 そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と言った。アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そして、アロンは呼ばわって言った。「あすは主への祭りである。」そこで、翌日、朝早く彼らは全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえを供えた。そして、民はすわっては、飲み食いし、立っては、戯れた。
 主はモーセに仰せられた。「さあ、すぐ降りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまったから。彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ、自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえをささげ、『イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。』と言っている。」
 主はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」 しかしモーセは、彼の神、主に嘆願して言った。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。また、どうしてエジプト人が『神は彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ。』と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして、彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のようにふやし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる。』と仰せられたのです。」
 すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された。モーセは向き直り、二枚のあかしの板を手にして山から降りた。板は両面から書いてあった。すなわち、表と裏に書いてあった。板はそれ自体神の作であった。その字は神の字であって、その板に刻まれていた。
 ヨシュアは民の叫ぶ大声を聞いて、モーセに言った。「宿営の中にいくさの声がします。」するとモーセは言った。「それは勝利を叫ぶ声ではなく、敗北を嘆く声でもない。私の聞くのは、歌を歌う声である。」
 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。それから、彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上にまき散らし、イスラエル人に飲ませた。モーセはアロンに言った。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らにこんな大きな罪を犯させたのは。」 アロンは言った。「わが主よ。どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、民の悪いのを知っているでしょう。彼らは私に言いました。『私たちに先立って行く神を、造ってくれ。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。』それで、私は彼らに、『だれでも、金を持っている者は私のために、それを取りはずせ。』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」
 モーセは、民が乱れており、アロンが彼らをほうっておいたので、敵の物笑いとなっているのを見た。そこでモーセは宿営の入口に立って「だれでも、主につく者は、私のところに。」と言った。するとレビ族がみな、彼のところに集まった。そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入口から入口へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ。」
 レビ族は、モーセのことばどおりに行なった。その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。そこで、モーセは言った。「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、主に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。」


         
 さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」
 すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」
 主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」


            
  序)
 罪を犯しても悔い改めない人たちには、必ず死後に裁きが下ります。しかし、裁かれて滅びないために、私たち先に救われた者のすべきことがあります。

   T)神の怒りをなだめる祈り            
 モーセが十戒を民に語ったとき、民は、「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」と、約束しました(24・3)。その後、再びモーセはシナイ山に登り、そこで神様から幕屋に関する規定を学んでいました。ところが、その期間が40日40夜続いたため、ふもとにいた民は、「あのモーセはどうなったのかわからない」と言い出したのです。そして、指導者が不在で気弱になった民は、早くも十戒を破って、アロンに偶像の神を造らせました。
 アロンは、刻んだ像でなく鋳た像だからいいんじゃないかという言い訳で、自分をごまかしたのでしょう。レビ記19:14(出34:17)には、再び十戒が言い渡されていますが、そこには鋳た像も造ってはならないと付け加えられています。
 神様は、まだ山上にいたモーセに向かって「わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう」とおっしゃいます。そして、モーセの子孫から新しいイスラエル民族を造るとおっしゃるのです。そこで、モーセは、3つの理由をあげて、嘆願しました。 第一に、エジプトから導き出したイスラエルの民は、神様の民であること。
 第二に、エジプト人が、『主は悪意をもって彼らを導き出し』たと、神様を侮るようになること。
 第三に、神様のアブラハムら父祖への誓いが果たせなくなること。 モーセは、何度イスラエルの民に吊し上げられては、忍耐してきたことでしょう。いつ堪忍袋の緒を切ってもおかしくないモーセでした。しかし、そのモーセが忍耐して、とりなしているのです。とりなしとは、自分に免じて猶予してもらうことです。ここで神様は、下そうとされた裁きを猶予されました。神様は、モーセがイスラエルを忍耐して導くなら、彼に免じて猶予し、彼に賭けたのです。

   U)悔い改めない魂
 モーセの行動は素早いものでした。山から下ってきたモーセは、子牛の像の回りで踊る民を見て怒り、十戒が記された二枚の石板を投げつけて砕いてしまいます。そして、金の子牛を砕いてしまいます。さらに、言い訳をするアロンをよそに、「主につく者はわたしのもとにきなさい」と、自分で民に悔い改めを呼び掛けます。彼の属する部族のレビ人は、それに応え、モーセは彼らに悔い改めない者たちを殺すことを命じました。
 これまで民を執り成し続けたモーセです。彼は、民が救われるために、身を挺するのです。しかし、民が救われるためには、悔い改めない者に、必ず裁きが下ることを示さなければなりませんでした。悔い改めのない魂を神の民とすることはできないのです。

   V)自分を身代わりにする祈り
 その翌日、モーセは民をとりなして祈るために再び山に戻ります。モーセは、「あなたが書きしるされた文から、わたしの名を消し去ってくださってけっこうですから、民の罪を赦してください」と、祈ります。けれども神様の答えは、「すべてわたしに罪を犯したものは、わたしの文から消し去られる」というものでした。
 モーセであっても罪は代償できないのです。モーセも罪人で、罪のないイエス様の十字架の代償以外に、罪を償えるものはないのです。神様がモーセに賭けて猶予されたのは、モーセが身代わりに代償できるのではなく、モーセがとことん忍耐をして導くのなら、イスラエルが変えられていく可能性があるということです。
  
   W)神の臨在を求める祈り
 さらに神様は、イスラエルの民がかたくなであるゆえ、ひとりの御使をつかわしては下さるが、御自身は一緒にはのぼらないとおっしゃっいました。それは、神様が一緒にいると、イスラエルを滅ぼしてしまうかもしれないからです。
 そこでモーセは、今度は天幕にて、三度目のとりなしをします。モーセは、神様が「あなたはわたしの心にかなっている」とおっしゃるのでしたら、私に道を教え、一緒に登ってくださいと願います。すると、神様は、『わたし自身が一緒に行って、あなたを休ませよう』と、おっしゃいました。モーセは御心にかなっているので、彼と一緒に行くことは、神様にとってやぶさかではないのです。
 次に、モーセは、「もし神が御一緒でないなら、私たちを登らせないでください」と祈ります。私と一緒なら私がいっしょにいるイスラエルとも一緒に登ってください、イスラエルが神様のみこころにそっているか否かは、神様がいっしょにおられるかどうかでわかるので、一緒にいて下さいと祈るのです。神様は、モーセのゆえに、そのこともしようとおっしゃってくださいました。
 モーセ一人が神のみこころにそって神様と共にいるのですが、そのモーセがイスラエルの民を導きますから、神様はモーセのゆえにイスラエルとも共にいてくださるのです。

   結論
 詩篇の作者は、この出来事を「主のお選びになったモーセは破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえして、滅びを免れさせた」と記しています(106:23)。不信仰な民のために、モーセは3度執り成しましたが、たとえモーセが身代わりになっても、神様は悔い改めない者を赦すことはなさいませんでした。しかし、モーセに免じて猶予し、モーセのゆえに一緒に登ってくださいます。神様はモーセに賭けられたのです。それはモーセが御心にかない、忍耐して執り成すから、モーセが一緒にいるうちはイスラエルは変えられる可能性があるからです。現代も、私たちクリスチャンがいるうちは、神様はこの世を裁かれません。しかし、モーセのごとく私に免じて、私に賭けて、神様は猶予しておられるのでしょうか?モーセのごとく執り成すものでありたいと願います。

  


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