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メッセージ

●困難に立ち向かう

2013年10月01日
民数記 13:25 〜14:12 14:20 〜25
テーマ  困難に立ち向かう

 四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。そして、ただちにパランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところに行き、ふたりと全会衆に報告をして、彼らにその地のくだものを見せた。彼らはモーセに告げて言った。
 「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」
 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」 全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」
そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。
 「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
 しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現われた。
 主はモーセに仰せられた。
 「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」

   14:20 〜
 主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。」
 「ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」

     
   序)                   
 神様は大きな祝福を用意してくださっているのですが、それを受け取るには、大きな困難を乗り越えないといけないことがあります。
   T)困難はある                 
 エジプトを出て2年目の2月20日に、イスラエルの民はシナイ山を出発し、パランの荒野にあるカデシに到着しました。そしてモーセは、約束の地カナンを探るために、12人の偵察隊を派遣しました。偵察隊は、南北3百キロに及ぶ地域を40日かけて探りました。そしてアブラハム・イサク・ヤコブの墓地があったヘブロンの近くのエシコルの谷から、大きなぶどうやいちじく、ざくろを携えて帰ってきました。そこで、偵察隊は、「そこはまことに乳と蜜の流れている地です」と、伝えると同時に、「その地に住む民は強く、その町々は堅固」だとも報告しました。神様の用意されている祝福は、しょぼいものではなく、大きいのです。しかし、そこに待つ困難もまた大きいことがあるのです。そんな時、あなたならどうしますか?逃げだしますか、じっと座り込みますか?それとも戦いますか?問題が起こった時、私たち人間がとれる行動は、逃避、無抵抗、挑戦の3っつしかないのです。イスラエルの場合、巨人や戦車、城壁の町が、彼らの気持ちを挫きました。苦労が大きいから、プレッシャーが強いから、ハードルが高いからといって逃げ出したのでは、決して大きな祝福を受け取ることはできません。

   U)御心を第一にする
 偵察隊の10人は困難な面を強調し「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」と、吹聴しました。彼らの大げさな報告は、悲観的な見方を感染させます。その結果、民はすっかり気落ちして、泣き叫び、エジプトか荒野で死んだらよかった。また、別の指導者を立ててエジプトに帰ろうと、またぞろ神に背きだす始末でした。
 しかし、そんな偵察隊の中で、カレブとヨシュアは、同じ事実に対しても違った見方をしていました。彼らは、御心なら神様は、自分たちにその地をくださると確信していました。また、神様が共におられますから、彼らを恐れてはいけないと主張しました。困難は大きいけれど、神様が勝たせてくださると、カレブとヨシュアは確信していたのです。しかしこれを信じることができなかった民は、ヨシュアとカレブを石で撃ち殺そうとしました。   
 困難が目の前にあるとき、神様を信じる人の態度は、御心なら戦い、御心なら逃げ、御心なら耐えることです。御心かどうかが最大の問題で、敵が強い、大きい、多いは、戦い方の問題です。それは、戦うか否かを決めた後に考えればいいのです。まずは、祈って神の御心を聞き、戦うのが御心なら、敵の如何に関わらず、戦えばいいのです。御心ですから、戦い方を教えられて、必ず勝てます。逃げるのが御心なら、必ず逃げおおせ、耐えるのが御心なら、必ず耐えきれるのです。それは、あなたよりもあなたのことを知り、敵よりも敵のことも知り、あなたよりもあなたの最善を計画しておられる神様の御心ですから、必ずそのとおりになるのです。

   V)新しくされなければ
 そのとき神様は、会見の天幕から全てのイスラエルに現われて、神様が諸々のしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまで神様を信じないで侮るのかと、叱責されました。紅海を分け、雲の柱と火の柱で導き、毎日のマナと水や肉を与えられたにもかかわらず、イスラエルの民は、神様が彼らの主となり、救い、守り、導き、助けておられることを信じていないのです。怒られた神様は、疫病をもって彼らを打って滅ぼし、モーセの子孫から新しいイスラエルをつくろうとモーセに語られました。しかしモーセは、先の金の子牛事件の時と同様にとりなしました。
 神様は、彼の祈りに答えて、民をすぐに打つことは猶予してくださいました。しかし、神様は、「十度もわたしを試みて、わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう」と宣告されました。その結果、当時20歳以上だったイスラエルの民は、この後39年間荒野を放浪して死に絶え、ヨシュアとカレブのほかは約束の地に入れません。新しくされた民が、入ることになるのです。
 神様は悔い改めるのを待って猶予はしてくださいますが、悔い改めのない民、神様を信じない人の罪を赦すことはありません。必ず裁かれます。しかし、悔い改めて新しくされた民は、信仰に立って約束の地に入ってゆくのです。

   結論
 悔い改めのない民は、必ず滅びます。神様が猶予してくださっている間に、罪を認め、悔い改め、主の贖いを受けましょう。そして信仰に立って、祝福を受け取る生涯を始めましょう。神様は大きな祝福を用意しておられます。そこには困難もあります。そんな時は、御心を先ず聞きましょう。そして、戦え!か、逃げよ!か、耐えよ!かを聞き分けましょう。そして御心にしたがって踏み出しましょう。困難が大きくても、御心なら必ず乗り越えられます。神様が共におられるから、必ず乗り越えられます。この信仰で、用意された祝福を受け取っていけるのです。

  


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